大槻 玄沢(おおつき げんたく)は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。 名は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。 出身地の磐井から磐水(ばんすい)と号す。 『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。 「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名である。 [生涯] 一関藩の医師でのちに藩医となった大槻玄梁の長子として陸奥国西磐井郡中里に生まれる。 玄沢9歳の時、オランダ流外科の開業医であった父が藩医となり、翌年一関に転居する。 13歳の時、同じ郷里の医師建部清庵に師事し、早くから医学・語学に才能を示した。 安永7年(1778年)、22歳の時、に江戸への遊学を許されて...
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