筈見 恒夫(はずみ つねお、1908年12月18日 - 1958年6月6日)は、日本の映画評論家である。 映画の宣伝マンの傍ら、批評活動をつづけ、途中、映画プロデューサーをつとめたことがある。 23歳のときに脚本家としてもデビューしている。 本名は松本 英一(まつもと えいいち)、サイレント映画の時代に活躍した映画監督の松本英一とは別人である。 [人物・来歴] 1908年(明治41年)12月18日、東京市(現在の東京都)に松本英一として生まれる。 1931年(昭和6年)、22歳のころ、南部圭之助らと雑誌『新映画』を創刊した。 1932年(昭和7年)、23歳のときには、不二映画社で、阿部豊監督...
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