横瀬夜雨(よこせ・やう)1878(明治11)年茨城県下妻に生まれる。四歳頃からポット氏病という難病に冒され、尋常小学校を卒業しただけで、家に籠もり独学で詩を書き始める。雑誌に投稿した短歌や詩が河井醉茗らに認められ本格的に詩作に耽るようになった。1934(昭和9)年没。他に『夕月』、『二十八宿』などの詩集がある。(小林繁雄)Wikipedia「横瀬夜雨」
「青空文庫」より
横瀬 夜雨(よこせ やう、1878年(明治11年)1月1日 - 1934年(昭和9年)2月14日)は、日本の詩人、歌人。 茨城県真壁郡横根村(現・下妻市)生まれ。 本名・虎寿(とらじゅ)。 別号に利根丸、宝湖。 幼時、くる病に冒されて生涯苦しんだ。 『文庫』に民謡調の詩を発表し、1905年詩集『花守』を刊行して、浪漫的な色彩で人気を博し、1907年河井酔茗主催の詩草社に参加した。 地方の文学少女たちがその境遇への同情から夜雨の妻になると言って数名やってきたことは、水上勉『筑波根物語』に詳しい(伊藤整『日本文壇史』の記述は連載終了後単行本化されなかった水上の著を参考にしたもの)。 その後結婚し、...
「Wikipedia」より