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山田 醇(1884-1969)
山田 醇(やまだ じゅん、1884年 - 1969年)は、日本の建築家。独立後は住宅作家としての道を歩み、和洋折衷住宅を発展させる。子息の病をきっかけに、健康住宅を研究し提唱した。設計した住宅は現在でも各地に現存している。埼玉県秩父市金崎生まれ。 経歴 実家は信用組合を経営。旧制熊谷中学校、学習院を経て、1908年(明治41年)、東京帝国大学造船学科入学。1年後に転科。1912年(明治45年)、東京帝国大学工学部建築学科卒業。同窓の竹腰健造、西村好時、山下寿郎、吉田享二、渡辺仁らで、苺会を結成。辰野葛西事務所に入り、第一相互館(1921年)の設計に加わる。直営実費積算法を開発、これによ...
この人物の情報
schema:alternateName | ヤマダ ジュン |
schema:name | 山田 醇; 山田醇 |
schema:abstract | 山田 醇(やまだ じゅん、1884年 - 1969年)は、日本の建築家。独立後は住宅作家としての道を歩み、和洋折衷住宅を発展させる。子息の病をきっかけに、健康住宅を研究し提唱した。設計した住宅は現在でも各地に現存している。埼玉県秩父市金崎生まれ。 経歴 実家は信用組合を経営。旧制熊谷中学校、学習院を経て、1908年(明治41年)、東京帝国大学造船学科入学。1年後に転科。1912年(明治45年)、東京帝国大学工学部建築学科卒業。同窓の竹腰健造、西村好時、山下寿郎、吉田享二、渡辺仁らで、苺会を結成。辰野葛西事務所に入り、第一相互館(1921年)の設計に加わる。直営実費積算法を開発、これによ... |
schema:birthDate | 1884 |
schema:deathDate | 1969 |
schema:description | 建築家 |