内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - )は、日本の児童文学作家、翻訳家。 本名は宮田 昇(みやた のぼる)。 [経歴] 戦後、近代文学社勤務ののち、1952年から早川書房の編集者となった。 のち退社し、チャールズ・イー・タトル商会で翻訳エージェントとなる。 その後、独立して矢野浩三郎と「矢野著作権事務所」(のち日本ユニ・エージェンシー)を興す。 ペンネームの内田名義で児童向け作品の執筆、翻訳を多数行った他、本名の宮田名義で翻訳出版史の著作がある。 妻は「S-Fマガジン」初代編集長の福島正実の妹。 福島が創設した「少年文芸作家クラブ」にも参加した。 福島の没後に内田の提案により、...
「Wikipedia」より