禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人。俳句は荻原井泉水に師事し、同門の尾崎放哉とともに「自由律」の句風で知られる。Wikipedia「種田山頭火」
「青空文庫」より
種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。 よく山頭火と呼ばれる。 自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。 1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。 本名・種田正一。 [経歴] 1882年(明治15年)12月3日、山口県佐波郡西佐波令村第百三十六番屋敷(現・防府市八王子二丁目十三)にて大地主・種田家の長男として生まれる。 1889年(明治22年)4月、佐波郡佐波村立松崎尋常高等小学校尋常科に入学。 1892年(明治25年、正一10歳)3月、母フサが自宅の井戸に投身自殺。 享年...
「Wikipedia」より