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高橋 多一郎(1814-1860)
高橋 多一郎(たかはし たいちろう)は、幕末の水戸藩士・志士。桜田門外の変の首謀者の一人。諱は愛諸。家紋は九枚笹。 生涯 水戸藩士・高橋諸往の長男として生まれる。藤田幽谷の門弟・国友善菴や藤田東湖に学び、尊王攘夷論に傾倒。改革派屈指の秀才と言われる。天保10年(1839年)、家督を継ぐ。藩主・徳川斉昭に抜擢され床几回組に属する。天保12年(1841年)、藩主の側近である奥右筆に任命される。 天保15年(1844年)5月に斉昭が幕府から隠退・謹慎処分を受けると、高橋は江戸へ上り幕府に対し斉昭の免罪を運動した。しかし門閥派によって嘉永元年(1848年)7月に蟄居に処せられる。嘉永2年(18...
この人物の情報
schema:alternateName | タカハシ タイチロウ |
schema:name | 高橋 多一郎; 高橋多一郎 |
schema:abstract | 高橋 多一郎(たかはし たいちろう)は、幕末の水戸藩士・志士。桜田門外の変の首謀者の一人。諱は愛諸。家紋は九枚笹。 生涯 水戸藩士・高橋諸往の長男として生まれる。藤田幽谷の門弟・国友善菴や藤田東湖に学び、尊王攘夷論に傾倒。改革派屈指の秀才と言われる。天保10年(1839年)、家督を継ぐ。藩主・徳川斉昭に抜擢され床几回組に属する。天保12年(1841年)、藩主の側近である奥右筆に任命される。 天保15年(1844年)5月に斉昭が幕府から隠退・謹慎処分を受けると、高橋は江戸へ上り幕府に対し斉昭の免罪を運動した。しかし門閥派によって嘉永元年(1848年)7月に蟄居に処せられる。嘉永2年(18... |
schema:birthDate | 1814 |
schema:deathDate | 1860 |