三重生まれ。歌人、国文学者。国学者佐佐木弘綱の長男。高崎正風に和歌を学ぶ。明治21年(1888)帝国大学卒業後、短歌革新運動に参加。31年(1898)から竹柏会を主宰し『心の花』を機関誌とする。自らの歌集に『思草』(1903)、『新月』(1912)等がある。一方で、万葉集や歌学を研究、37年(1904)以降26年間にわたり東京帝大で教鞭を執る。『日本歌学史』(1910)、『和歌史の研究』(1915)、『校本万葉集』(1924~25)等の編著がある。昭和12年(1937)第1回文化勲章受賞。文学博士。学士院・芸術院会員。
「近代日本人の肖像」より
Wikipedia「佐佐木信綱」
「青空文庫」より
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。 正六位勲六等文学博士。 [経歴] 三重県鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)にて歌人佐々木弘綱の長男として生まれる。 父の教えを受け5歳にして作歌。 1882年(明治15年)上京。 1884年(明治17年)、東京帝国大学文学部古典講習科に進む。 1890年(明治23年)、父と共編で『日本歌学全書』全12册の刊行を開始。 1896年(明治29年)、森鴎外の「めざまし草」に歌を発表し、歌誌「いささ川」を創刊。 また、落合直文、与謝野鉄幹らと新詩会をおこし、新体...
「Wikipedia」より