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汪 中(1744-1794)
汪 中(おう ちゅう、乾隆9年12月20日(1745年1月22日) - 乾隆59年11月20日(1794年12月12日))は、中国清代の儒学者・考証学者。字は容甫。 略歴 1974年、揚州府江都県生まれ。1777年(乾隆42年)に貢生に推挙されたが、母親の高齢を理由に辞退、後に畢沅が両湖総督として着任した際にその胥吏となっている。駢文の名手でもあり、「漢上琴台之銘」と「黄鶴楼銘」を著し人々に広く愛唱された。また浙江の文宗閣において四庫全書の校訂に当たった。西湖の僧舎で没した。 業績 経学の造詣が深く顧炎武の経論を重んじ、同時代の戴震・梅文鼎などから尊敬されている。その内容は宋学と漢学...
この人物の情報
schema:alternateName | オウ チュウ |
schema:name | 汪 中; 汪中; 容甫 |
schema:abstract | 汪 中(おう ちゅう、乾隆9年12月20日(1745年1月22日) - 乾隆59年11月20日(1794年12月12日))は、中国清代の儒学者・考証学者。字は容甫。 略歴 1974年、揚州府江都県生まれ。1777年(乾隆42年)に貢生に推挙されたが、母親の高齢を理由に辞退、後に畢沅が両湖総督として着任した際にその胥吏となっている。駢文の名手でもあり、「漢上琴台之銘」と「黄鶴楼銘」を著し人々に広く愛唱された。また浙江の文宗閣において四庫全書の校訂に当たった。西湖の僧舎で没した。 業績 経学の造詣が深く顧炎武の経論を重んじ、同時代の戴震・梅文鼎などから尊敬されている。その内容は宋学と漢学... |
schema:birthDate | 1744 |
schema:deathDate | 1794 |
schema:description | 学者 |