折口 信夫   (1887-1953)

創作では釋迢空を使用。大阪の医師の家に生れるが、父親の放蕩により家計が傾く。苦労の末、東京の国學院大學へ進学し卒業後教鞭をとる。民俗学者柳田国男に「沖縄行き」を勧められて、当地に残る古の「型」「もの」に感動し、なかなか東京へ帰らなかった。そこで得たことが民俗学者折口信夫の基礎となる。天性の文学的才能が加味し、折口は大胆にも「まれびと」「貴種流離譚」など、独自の言葉を駆使しその論文を発表。最初、そうした言葉を心よく思わなかったのは、師の柳田国男である。しかし折口は柳田を生涯にわたり尊敬し続けた。折口の興味は、民俗学に留まらず、国文学の発生にまで及んでいる。それらのほとんど「口術筆記」の形をとっていた。書き手(聞き手)は、折口の頭の回転の速さと独特の言い回しでついていくことに閉口したという。生活能力に乏しい折口が公私共に信頼をおいていた弟子の藤井春洋を養子としたが、それは春洋本人は知らぬことであった。柳田国男が保証人であるその養子縁組を知ることなく、春洋は硫黄島へ出征してしまっていた。間もなく折口の下へ春洋の訃報が届いた。今、折口は、遺言通り、春洋の故郷である能登の羽咋で春洋の隣に半分だけ眠っている。もう半分は、大阪の折口家代々の墓で眠っている。(まれびとプロジェクト)Wikipedia「折口信夫

「青空文庫」より

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。 柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。 1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反ア...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ オリグチ シノブ
人物別名 折口信夫
生年 1887年
没年 1953年
職業・経歴等 文学研究者
をも見よ 釈, 迢空(1887-1953)

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
大嘗祭の本義 : 民俗学からみた大嘗祭 折口信夫著 ; 森田勇造現代語訳 三和書籍
2019.4
古事記の研究 折口信夫著 中央公論新社
2019.9
折口信夫 : 山のことぶれ 折口信夫著 平凡社
2019.10
アルバム 折口信夫著 ; 岡野弘彦編 慶應義塾大学出版会
2019.11
折口信夫死と再生、そして常世・他界 折口信夫 [著] ; 小川直之編 アーツアンドクラフツ
2018.4
折口信夫死と再生、そして常世・他界 折口信夫 [著] ; 小川直之編 アーツアンドクラフツ
2018.4
民衆史の遺産 谷川健一, 大和岩雄 責任編集 大和書房
2017.1
古代研究 折口信夫 [著] Kadokawa
2017.1
古代研究 折口信夫 [著] Kadokawa
2017.2
この人物の作品が掲載されている本を検索

作品の一覧

この人物を: 
このエントリーをはてなブックマークに追加

このページを印刷

外部サイトで検索

この人物と繋がる本を検索

ウィキペディアから連想