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章 学誠(1738-1801)
章 学誠(しょう がくせい、乾隆3年(1738年) - 嘉慶6年(1801年))は、中国清代の歴史学者。字は実斎、号は少巌。もとの名は文酕。本貫は紹興府会稽県偁山。父は応城知県の章鑣。 略歴 北京に上って国子監生となるも屡々科挙に落第した。彼は7回郷試に落ち、31歳にして初めて郷試に及第し、41歳で進士となった。これは当時として珍しいことではない。彼は14歳になっても四書すら暗誦できなかったと自ら語るが、決して暗愚であったわけではない。それは受験勉強をさぼって歴史書を読みふけり、歴史家のまねごとをするなど、歴史少年だった。朱筠に文を学び、実力をつけ、進士及第後も任官せず、書院の主構とし...
この人物の情報
schema:alternateName | ショウ ガクセイ |
schema:name | 章 学誠; 章学誠; 実斎; 少巌 |
schema:abstract | 章 学誠(しょう がくせい、乾隆3年(1738年) - 嘉慶6年(1801年))は、中国清代の歴史学者。字は実斎、号は少巌。もとの名は文酕。本貫は紹興府会稽県偁山。父は応城知県の章鑣。 略歴 北京に上って国子監生となるも屡々科挙に落第した。彼は7回郷試に落ち、31歳にして初めて郷試に及第し、41歳で進士となった。これは当時として珍しいことではない。彼は14歳になっても四書すら暗誦できなかったと自ら語るが、決して暗愚であったわけではない。それは受験勉強をさぼって歴史書を読みふけり、歴史家のまねごとをするなど、歴史少年だった。朱筠に文を学び、実力をつけ、進士及第後も任官せず、書院の主構とし... |
schema:birthDate | 1738 |
schema:deathDate | 1801 |
schema:description | 学者 |