長崎生まれ。司法官。オランダ通詞名村八右衛門の養子となり、蘭、英、独、仏語を習得する。慶応2年(1866)万国博覧会御用掛を命じられ、徳川昭武に随行し渡仏。維新後は、長崎県上等通弁、仏学局助教などを経て、明治5年(1872)司法省に出仕。同年、司法卿江藤新平に従い渡欧。各国の法律を調査し、法学者ボアソナードの招聘につとめた。7年(1874)に、台湾出兵問題で大久保利通に随行して清国に派遣された後は、司法官として刑法・治罪法の立案に尽力。大審院検事長として民権派の激化事件の司法的処理にもあたった。25年(1892)大審院長心得。27年(1894)貴族院議員。
「近代日本人の肖像」より
名村 泰蔵(なむら たいぞう、天保11年11月1日(1840年11月24日) - 明治40年(1907年)9月6日)は、日本の検事、判事、貴族院勅選議員。 [経歴] 長崎出身。 北村元次郎と名乗っていたが、名村家に養子に入り、泰蔵と改めた。 名村家は代々阿蘭陀通詞を継承した家柄であったため、オランダ語を学び、さらに英語・ドイツ語・フランス語も学んだ。 1867年(慶応2年)、パリ万国博覧会に派遣された徳川昭武に随行した。 1869年(明治2年)、仏学局助教に任命され、1872年(明治5年)には司法省に入り理事官となった。 司法省のヨーロッパ視察団の一員となったが、このときギュスターヴ・エミー...
「Wikipedia」より