張 居正(ちょう きょせい、1525年 - 1582年)は、中国明代の政治家。 字は叔大、封号は上柱国。 号は太岳、諡は文忠。 万暦帝の元で強力な指導力を発揮して明の政治改革を推し進めたが、その一方で強引に政敵を蹴落とすそのやり方は恨みも買った。 [出自] 嘉靖四年(1525年)、湖北江陵県の生まれ。 幼少時より聡明の誉が高く、十二歳にして生員に合格した。 この時の試験官である荊州知府の李士翱にその才能を絶賛される。 十三歳の時に郷試を受験し、郷試主考官の湖広巡撫顧璘にその才を認められ、顧は張居正を"小友”と称した程であった。 しかし顧は張居正を国を担う有為の人材と認めつつも、同時にその才が...
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