高知生まれ。政治家、思想家。父は高知藩士。長崎、江戸でフランス学を学ぶ。明治4年(1871)フランス留学。7年(1874)帰国後、仏学塾を開く。8年(1875)元老院権少書記官となるが、10年(1877)辞任。14年(1881)東洋自由新聞創刊、主筆となる。フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となる。20年(1887)藩閥政府の横暴を批判し、保安条例により2年間の東京追放処分を受ける。23年(1890)第1回衆議院議員選挙に当選したが、翌年辞職。ルソー『民約論』の翻訳『民約訳解』、『三酔人経綸問答』、『一年有半』など多くの翻訳・著作がある。
「近代日本人の肖像」より
Wikipedia「中江兆民」
「青空文庫」より
中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日(1847年12月8日) - 明治34年(1901年)12月13日)は、日本の思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)。 フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。 衆議院当選1回、第1回衆議院議員総選挙当選者の一人。 兆民は号で、「億兆の民」の意味。 「秋水」とも名乗り、弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。 名は篤介(とくすけ、篤助)。 幼名は竹馬。 [生涯] 高知城下の土佐郡北街山田町に生まれる。 文久元年(1861年)2月に父が死去し、5月には...
「Wikipedia」より