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兪 吉濬(1856-1914)
兪 吉濬(ユ・ギルチュン、ゆ きっしゅん、ハングル: 유길준、1856年 - 1914年9月30日)は、李氏朝鮮末期の政治家・啓蒙思想家。字は聖武、号は矩堂。本貫は杞渓兪氏。 生涯 ソウルで生まれ、朴珪寿の元で学んだ。明治14年(1881年)には「紳士遊覧団」の一員として、魚允中に随行して日本に留学し、柳定秀と共に慶應義塾に入学し、明治16年(1883年)にはアメリカに留学しワシントンD.C.やボストンで学び、日本では福沢諭吉、アメリカではエドワード・モースの元で学んだ。甲申政変後の1885年に帰国するが、開化派の一員とみなされて逮捕され、幽閉生活を送る。幽閉中に欧米事情について記した...
この人物の情報
schema:alternateName | ユ ギルチュン |
schema:name | 兪 吉濬; 兪吉濬; 兪, 矩堂 |
schema:abstract | 兪 吉濬(ユ・ギルチュン、ゆ きっしゅん、ハングル: 유길준、1856年 - 1914年9月30日)は、李氏朝鮮末期の政治家・啓蒙思想家。字は聖武、号は矩堂。本貫は杞渓兪氏。 生涯 ソウルで生まれ、朴珪寿の元で学んだ。明治14年(1881年)には「紳士遊覧団」の一員として、魚允中に随行して日本に留学し、柳定秀と共に慶應義塾に入学し、明治16年(1883年)にはアメリカに留学しワシントンD.C.やボストンで学び、日本では福沢諭吉、アメリカではエドワード・モースの元で学んだ。甲申政変後の1885年に帰国するが、開化派の一員とみなされて逮捕され、幽閉生活を送る。幽閉中に欧米事情について記した... |
schema:birthDate | 1856 |
schema:deathDate | 1914 |
schema:description | 男爵 |