creator search
脇坂 安宅(1809-1874)
脇坂 安宅(わきさか やすおり)は、江戸時代後期の大名・老中。播磨国龍野藩9代藩主。官位は従四位下侍従、中務大輔。龍野藩脇坂家11代。 生涯 文化6年(1809年)、龍野藩8代藩主・脇坂安董の長男として誕生。 当初は正室の子だった次弟・安坦が世嗣となり安宅は部屋住みのままだったが、天保9年(1839年)に安坦が早世したため、31歳にして嫡子となった。天保12年(1841年)、父の死により家督を継いだ。 脇坂氏は父の功績もあり、正式な譜代大名となっていたが、安宅も襲封後、寺社奉行、京都所司代、老中と順当に昇役した。京都所司代時代には京都御所炎上の大火があり、その復旧に功績があって、孝明天...
この人物の情報
schema:alternateName | ワキザカ ヤスオリ |
schema:name | 脇坂 安宅; 脇坂安宅; 安炳; 揖水; 松濤; 天圭 |
schema:abstract | 脇坂 安宅(わきさか やすおり)は、江戸時代後期の大名・老中。播磨国龍野藩9代藩主。官位は従四位下侍従、中務大輔。龍野藩脇坂家11代。 生涯 文化6年(1809年)、龍野藩8代藩主・脇坂安董の長男として誕生。 当初は正室の子だった次弟・安坦が世嗣となり安宅は部屋住みのままだったが、天保9年(1839年)に安坦が早世したため、31歳にして嫡子となった。天保12年(1841年)、父の死により家督を継いだ。 脇坂氏は父の功績もあり、正式な譜代大名となっていたが、安宅も襲封後、寺社奉行、京都所司代、老中と順当に昇役した。京都所司代時代には京都御所炎上の大火があり、その復旧に功績があって、孝明天... |
schema:birthDate | 1809 |
schema:deathDate | 1874 |
schema:description | 大名 |