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中林 竹洞(1776-1853)
中林 竹洞(なかばやし ちくとう、安永5年(1776年) - 嘉永6年3月20日(1853年4月27日))は、江戸時代後期の文人画家。幕末における文人画の理論的指導者、尊王家として知られる。尾張国の生まれ。 名は成昌(しげまさ)、字を伯明、通称大助。竹洞は画号。別号に融斎・冲澹・大原庵・東山隠士、痴翁などがある。 略伝 竹洞は、名古屋の産科医・中林玄棟の子として生まれた。幼い時から画を好み、14歳で沈南蘋風の花鳥画を得意とする絵師・山田宮常に学ぶ。翌年、尾張画壇のパトロンとして知られた豪商・神谷天遊に才覚を見込まれると同家に引き取られ、ひたすら古画の臨模を行って画法を会得した。天遊に連...
この人物の情報
schema:alternateName | ナカバヤシ チクドウ |
schema:name | 中林 竹洞; 中林竹洞; 中林, 大助; 中林, 成昌; 中林, 伯明 |
schema:abstract | 中林 竹洞(なかばやし ちくとう、安永5年(1776年) - 嘉永6年3月20日(1853年4月27日))は、江戸時代後期の文人画家。幕末における文人画の理論的指導者、尊王家として知られる。尾張国の生まれ。 名は成昌(しげまさ)、字を伯明、通称大助。竹洞は画号。別号に融斎・冲澹・大原庵・東山隠士、痴翁などがある。 略伝 竹洞は、名古屋の産科医・中林玄棟の子として生まれた。幼い時から画を好み、14歳で沈南蘋風の花鳥画を得意とする絵師・山田宮常に学ぶ。翌年、尾張画壇のパトロンとして知られた豪商・神谷天遊に才覚を見込まれると同家に引き取られ、ひたすら古画の臨模を行って画法を会得した。天遊に連... |
schema:birthDate | 1776 |
schema:deathDate | 1853 |
schema:description | 画家 |