島根生まれ。文学者、軍医。父は津和野藩典医。明治14年(1881)東京大学医学部を卒業後軍医となり、17年(1884)~21年(1888)ドイツに留学。40年(1907)には陸軍軍医総監・陸軍医務局長になり、軍医として最高職についた。大正5年(1916)予備役となり、6年(1917)帝室博物館長兼図書頭。公務のかたわら、小説家、評論家、翻訳家として活躍。代表作に『舞姫』(1890)、『うたかたの記』(1890)、翻訳『即興詩人』(1892~1901)、『ヰタ・セクスアリス』(1909)、『雁』(1911)、『阿部一族』(1913)、『山椒大夫』(1915)、『高瀬舟』(1916)、史伝『渋江抽斎』(1916)などがある。
「近代日本人の肖像」より
本名林太郎。石見国鹿足郡津和野町(現・島根県鹿足郡津和野町)生まれ。代々津和野藩亀井家の典医の家柄で、鴎外もその影響から第一大学区医学校(現・東大医学部)予科に入学。そして、両親の意に従い陸軍軍医となる。1884(明治17)年から5年間ドイツに留学し衛生学などを学ぶ。「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」「大発見」「ヰタ・セクスアリス」などに、そのドイツ時代の鴎外を見て取ることができる。その後、陸軍軍医総監へと地位を上り詰めるが、創作への意欲は衰えず、「高瀬舟」「阿部一族」などの代表作を発表する。Wikipedia「森鴎外」
「青空文庫」より
森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。 位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。 本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。 東京大学医学部卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごした。 帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。 その後、日清戦争出征や...
「Wikipedia」より