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小河 一敏(1813-1886)
小河 一敏(おごう かずとし、文化10年1月21日(1813年2月21日) - 明治19年(1886年)1月31日)は、堺県知事、宮内省御用掛。通称は弥右衛門。 経歴 岡藩士の子として、豊後国竹田に生まれた。朱子学・陽明学を学び、また詩歌や文章も善くし、早くから尊皇攘夷の志をいだいた。嘉永6年(1853年)のマシュー・ペリーによる黒船来航を機に九州地方北部の各地を遊説して久留米藩の真木和泉や熊本藩の宮部鼎蔵 らと交わった。安政6年(1859年)には気吹舎に入門して国学の徒となり、平田銕胤嫡男平田延胤とは懇意の間柄にあった。藩論が尊王派と佐幕派に分かれ対立すると、尊王派の指導者として活動...
この人物の情報
schema:alternateName | オゴウ カズトシ |
schema:name | 小河 一敏; 小河一敏 |
schema:abstract | 小河 一敏(おごう かずとし、文化10年1月21日(1813年2月21日) - 明治19年(1886年)1月31日)は、堺県知事、宮内省御用掛。通称は弥右衛門。 経歴 岡藩士の子として、豊後国竹田に生まれた。朱子学・陽明学を学び、また詩歌や文章も善くし、早くから尊皇攘夷の志をいだいた。嘉永6年(1853年)のマシュー・ペリーによる黒船来航を機に九州地方北部の各地を遊説して久留米藩の真木和泉や熊本藩の宮部鼎蔵 らと交わった。安政6年(1859年)には気吹舎に入門して国学の徒となり、平田銕胤嫡男平田延胤とは懇意の間柄にあった。藩論が尊王派と佐幕派に分かれ対立すると、尊王派の指導者として活動... |
schema:birthDate | 1813 |
schema:deathDate | 1886 |
schema:description | 知事 |