高知生まれ。植物学者。家は酒造業。小学校を中退、独学で植物学を学ぶ。明治17年(1884)矢田部良吉に認められ、東京大学で指導を受ける。21年(1988)より『日本植物志図篇』を自費で刊行。26年(1893)帝国大学助手、大正元年(1912)東京帝大講師となる。昭和2年(1927)理学博士、25年(1950)日本学士院会員。死去後文化勲章を贈られた。多くの新種を発見・命名し、植物学の啓蒙にも努めた。『牧野日本植物図鑑』(1940初版)等、著作も多い。
「近代日本人の肖像」より
Wikipedia「牧野富太郎」
「青空文庫」より
牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。 高知県高岡郡佐川町出身。 「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。 その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。 小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。 [生涯] 1862年(文久2年)、土佐国佐川村(現、高知県高岡郡佐川町)の、近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれた商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に...
「Wikipedia」より