李 百薬(り ひゃくやく、565年 - 648年)は、唐の歴史家。 字は重規、本貫は定州安平(今の河北省安平)。 [経歴] 隋の内史令李徳林の子として生まれた。 父の李徳林は北斉の歴史書を書いていたが、完成できなかった。 百薬は幼い頃病弱で、祖母の趙氏にそのために「百薬」と名づけられた。 7歳で文章をよくし、父の友の陸乂と徐陵の文を読み、難解な一節を読みこなしたので驚かれた。 蔭官により三衛長として仕官した。 隋の開皇初年、太子通事舎人・東宮学士に任ぜられた。 599年、仁寿宮に召されて、父の安平公の爵位を継いだ。 楊素や牛弘らに才能を愛され、礼部員外郎に任ぜられた。 命を受けて五礼や律令や...
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