高知生まれ。新聞記者、翻訳家、小説家。父は土佐郷士。慶応義塾中退。絵入自由新聞、都新聞などの主筆を歴任し、明治25年(1892)万朝報を創刊。社会派的な暴露記事や娯楽記事、自らの連載小説で部数を伸ばし、大衆新聞の先駆となった。日露戦争では主戦論に転じ、内村鑑三、幸徳秋水らの退社を招いた。大正期にも憲政擁護運動への参加、シーメンス事件攻撃など政治に強い関心を持った。翻案小説『鉄仮面』『巌窟王』『噫無情』などが名高い。
「近代日本人の肖像」より
1862-1920 本名は周六。ジャーナリスト、翻訳家、文筆家。高知県生まれ。大坂英語学校に学んだのち17歳で上京。文筆による政治活動を経、24歳「絵入自由新聞」主筆、のち「都新聞」主筆、同紙に次々と翻訳小説を連載し好評を博したが、交代となった新社長と意見が衝突し退社。退社仲間と共に30歳(1892年)「万朝報《よろずちょうほう》」を創刊。新聞経営のかたわら同紙に『鉄仮面』『巖窟王』『噫無情』など翻訳小説を発表し続ける一方、社会面に著名人の妾調査など掲載し「三面記事」の語源ともなる。また、人文関連の著書には『小野小町論』『天人論』などがある。Wikipedia「黒岩涙香」
「青空文庫」より
黒岩 涙香(くろいわ るいこう、1862年11月20日(文久2年9月29日) - 1920年(大正9年)10月6日)は、明治時代の知識人、思想家、作家、翻訳家、探偵小説家、ジャーナリスト。 兄は黒岩四方之進。 本名は黒岩周六。 黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史などの筆名を用いた。 号は古概、民鉄、黒岩大。 あだ名はマムシの周六。 戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。 翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。 [経歴] 土佐国安芸郡川北村大字前島(現在の高知県安芸市川北)に土佐藩郷士の子として生まれる。 藩校文武館で漢籍を学び、16歳で大阪に出て中之島専門学校(後...
「Wikipedia」より