東京生まれ。小説家。学習院から札幌農学校に進み、キリスト教に入信。明治36年(1903)からアメリカ留学中、信仰に動揺をきたし、社会主義思想にふれ、クロポトキンの無政府主義にも傾倒した。3年間の留学後、欧州をまわって帰国。43年(1910)、「白樺」に参加、執筆活動を始める。作品に『生れ出づる悩み』(1918)、『或る女』(1919)、『惜みなく愛は奪ふ』(1920)など。第一次大戦後の社会状況下で有産階級であることに苦悩を深め、『宣言一つ』(1922)を発表、農場解放などを行ったが、翌年、波多野秋子と心中した。
「近代日本人の肖像」より
1878年3月4日、東京小石川水道町に生まれる。東北帝大農科大学で教鞭を執るかたわら、1910年「白樺」に同人として参加。『かんかん虫』『在る女のグリンプス』などを発表する。1916年、結核を病んでいた妻が死に、さらに父が亡くなったことから教鞭を辞し、本格的に文学生活に入る。『或る女』『カインの末裔』『生れ出づる悩み』などが代表作。1923年6月9日、人妻の波多野秋子と軽井沢の別荘浄月庵にて情死。Wikipedia「有島武郎」
「青空文庫」より
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。 学習院中等科卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。 1903年渡米。 ハバフォード大学院、その後、ハーバード大学で歴史・経済学を学ぶ。 ハーバード大学は1年足らずで退学する。 帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加する。 1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。 代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜みなく愛は奪ふ』がある。 [経歴] 東京小石川(現・文京区)に旧薩摩藩郷士(祖父も同じく郷士)で大蔵...
「Wikipedia」より