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藤森 弘庵(1799-1862)
藤森 弘庵(ふじもり こうあん、寛政11年3月11日(1799年4月15日) - 文久2年10月8日(1862年11月29日))は、幕末の小野藩士、土浦藩士。 小野藩士藤森義正の子、母は猶子(堀越伊兵衛の娘)。諱は大雅。字は淳風。通称・恭助。天山、如不及斎と号した。 人物 江戸に生まれる、柴野碧海・長野豊山・古賀穀堂・古賀侗庵らに師事する。帰藩後は父の跡を継いで右筆、また世子一柳末延の侍講となる。また藩主一柳末周に時勢について建言するも容れられず、天保5年(1834年)致仕し、江戸で私塾を開いた。間もなく久保田藩士碓井左中の紹介で土浦藩に入り、藩主土屋彦直・寅直に仕え、朱子学を普及させ...
この人物の情報
schema:alternateName | フジモリ コウアン |
schema:name | 藤森 弘庵; 藤森弘庵; 恭助; 大雅; 淳風; 弘庵; 天山 |
schema:abstract | 藤森 弘庵(ふじもり こうあん、寛政11年3月11日(1799年4月15日) - 文久2年10月8日(1862年11月29日))は、幕末の小野藩士、土浦藩士。 小野藩士藤森義正の子、母は猶子(堀越伊兵衛の娘)。諱は大雅。字は淳風。通称・恭助。天山、如不及斎と号した。 人物 江戸に生まれる、柴野碧海・長野豊山・古賀穀堂・古賀侗庵らに師事する。帰藩後は父の跡を継いで右筆、また世子一柳末延の侍講となる。また藩主一柳末周に時勢について建言するも容れられず、天保5年(1834年)致仕し、江戸で私塾を開いた。間もなく久保田藩士碓井左中の紹介で土浦藩に入り、藩主土屋彦直・寅直に仕え、朱子学を普及させ... |
schema:birthDate | 1799 |
schema:deathDate | 1862 |
schema:description | 学者 |