creator search
玄宗(685-762)
玄宗(げんそう)は、唐の第6代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。 治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は政治に倦み楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った。 生涯 武韋の禍 睿宗の三男として洛陽で生まれる。母は徳妃竇氏。隆基には祖母となる武則天が女性皇帝として君臨する武周時代であった。はじめは伯父である皇太子の李弘の猶子となっていた。 705年、20歳のとき、武則天は中宗に禅譲するかたちで帝位を奪われ、武周は一代で消滅し、唐が復活したが、朝廷には隆基の叔母で武后の娘である太平公主や、武則天の実家である武氏の一族の勢力が残存...
この人物の情報
schema:alternateName | ゲンソウ |
schema:name | 玄宗; 季; 隆基 |
schema:abstract | 玄宗(げんそう)は、唐の第6代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。 治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は政治に倦み楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った。 生涯 武韋の禍 睿宗の三男として洛陽で生まれる。母は徳妃竇氏。隆基には祖母となる武則天が女性皇帝として君臨する武周時代であった。はじめは伯父である皇太子の李弘の猶子となっていた。 705年、20歳のとき、武則天は中宗に禅譲するかたちで帝位を奪われ、武周は一代で消滅し、唐が復活したが、朝廷には隆基の叔母で武后の娘である太平公主や、武則天の実家である武氏の一族の勢力が残存... |
schema:birthDate | 685 |
schema:deathDate | 762 |
schema:description | 皇帝 |