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広橋 兼仲(1244-1308)
広橋 兼仲(ひろはし かねなか)は、鎌倉時代後期の公卿。勘解由小路 兼仲(かでのこうじ かねなか)の名で知られている。民部卿・広橋経光の次男。官位は従二位・権中納言。日記『勘仲記』の著者。 経歴 建長4年(1252年)に元服、正嘉2年(1257年)に叙爵し、紀伝道(文章道)を学ぶ。 正元元年(1259年)に民部少輔に任じられ、近衛家・鷹司家の家司となり、弘安元年(1278年)より鷹司兼平・近衛家基の執事を務めた。 弘安3年(1280年)に兄兼頼が蔵人頭右大弁在任中に没すると嫡子として扱われ、弘安7年(1284年)に蔵人に任ぜられ、同10年に右少弁、正応元年(1288年)に左少弁、翌年に...
この人物の情報
schema:alternateName | ヒロハシ カネナカ |
schema:name | 広橋 兼仲; 広橋兼仲; 藤原, 兼仲; 日野, 兼仲 |
schema:abstract | 広橋 兼仲(ひろはし かねなか)は、鎌倉時代後期の公卿。勘解由小路 兼仲(かでのこうじ かねなか)の名で知られている。民部卿・広橋経光の次男。官位は従二位・権中納言。日記『勘仲記』の著者。 経歴 建長4年(1252年)に元服、正嘉2年(1257年)に叙爵し、紀伝道(文章道)を学ぶ。 正元元年(1259年)に民部少輔に任じられ、近衛家・鷹司家の家司となり、弘安元年(1278年)より鷹司兼平・近衛家基の執事を務めた。 弘安3年(1280年)に兄兼頼が蔵人頭右大弁在任中に没すると嫡子として扱われ、弘安7年(1284年)に蔵人に任ぜられ、同10年に右少弁、正応元年(1288年)に左少弁、翌年に... |
schema:birthDate | 1244 |
schema:deathDate | 1308 |
schema:description | 公家 |