愛知犬山生まれ。薬学者。明治3年(1870)犬山藩の貢進生として大学南校独逸語科に学ぶ。6年(1873)第一大学区医学校製薬学科に進学。12年(1879)製薬士の学位を受け、その後、陸軍薬剤官と大学助教授を兼任する。16年(1883)に日本薬局方編纂御用掛となるが、ストラスブルグ大学に留学。帰国後、帝国大学医科大学教授となり、薬剤師試験委員、日本薬剤師会理事長などを歴任。東京薬学校を設立し、日本の薬学界の発展に寄与した。郊外に是好園という薬草園を持った。
「近代日本人の肖像」より
下山 順一郎(しもやま じゅんいちろう、嘉永6年2月18日(1853年3月27日) - 明治45年(1912年)2月12日)は、明治時代の日本の薬学者。 薬学博士第1号であり、日本薬剤師会第2代会長、私立薬学校(現東京薬科大学)初代校長。 [略歴] 嘉永6年(1853年)、尾張犬山藩士、藩校敬道館助教下山健治・よしの長男として生まれる。 明治3年(1870年)犬山藩の貢進生として大学南校独逸語科に学び、明治6年(1873年)第一大学区医学校(現・東京大学)製薬学科に進学。 明治11年(1879年)第1回生として首席で卒業し、翌年製薬士の学位を受け、その後、陸軍薬剤官と大学助教授を兼任する。 ...
「Wikipedia」より