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吉田 兼見(1535-1610)
吉田 兼見(よしだ かねみ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿・神道家。京都吉田神社神主。吉田神道宗家・吉田家9代当主・卜部氏25代。『兼見卿記』(かねみきょうき)の著者としても知られる。 生涯 天文4年(1535年)、神祇大副兼右兵衛督・吉田兼右の子として誕生。細川幽斎の従兄弟にあたる。 元亀元年(1570年)、家督を継ぎ吉田神道の継承者となった。初名は兼和であったが、後陽成天皇の諱(和仁)を避けて天正14年(1586年)に兼見に改名した。 足利義昭、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、細川幽斎などと交友関係は広く、信長の推挙により堂上家(家格は半家、卜部氏)の家格を獲得した。 慶...
この人物の情報
schema:alternateName | ヨシダ カネミ |
schema:name | 吉田 兼見; 吉田兼見 |
schema:abstract | 吉田 兼見(よしだ かねみ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿・神道家。京都吉田神社神主。吉田神道宗家・吉田家9代当主・卜部氏25代。『兼見卿記』(かねみきょうき)の著者としても知られる。 生涯 天文4年(1535年)、神祇大副兼右兵衛督・吉田兼右の子として誕生。細川幽斎の従兄弟にあたる。 元亀元年(1570年)、家督を継ぎ吉田神道の継承者となった。初名は兼和であったが、後陽成天皇の諱(和仁)を避けて天正14年(1586年)に兼見に改名した。 足利義昭、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、細川幽斎などと交友関係は広く、信長の推挙により堂上家(家格は半家、卜部氏)の家格を獲得した。 慶... |
schema:birthDate | 1535 |
schema:deathDate | 1610 |
schema:description | 公家 |