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吉田 篁墩(1745-1798)
吉田 篁墩(よしだ こうとん、延享2年4月5日(1745年5月6日) - 寛政10年9月1日(1798年10月10日))は、江戸時代後期の儒学者。幼名は虎之助。名は漢官。字は資坦、学生、学儒。通称は担蔵。別号に竹門、林庵、艾峰。水戸藩医吉田家6代目。 日本における考証学の提唱者、および漢籍書誌学の開拓者として位置付けられている。 生涯 延享2年(1745年)4月5日、上総大多喜藩士藤井沢衛門定行の子として生まれた。水戸藩医吉田篤信と奥山氏の間に江戸小石川の藩邸に生まれたとするのは誤り。なお、大多喜藩の下屋敷も小石川にあったため、出生地が小石川の大多喜藩邸だったとすれば辻褄は合うが、今の...
この人物の情報
schema:alternateName | ヨシダ コウトン |
schema:name | 吉田 篁墩; 吉田篁墩; 吉田, 漢宦; 吉田, 漢官; 漢宦; 学儒; 篁墩 |
schema:abstract | 吉田 篁墩(よしだ こうとん、延享2年4月5日(1745年5月6日) - 寛政10年9月1日(1798年10月10日))は、江戸時代後期の儒学者。幼名は虎之助。名は漢官。字は資坦、学生、学儒。通称は担蔵。別号に竹門、林庵、艾峰。水戸藩医吉田家6代目。 日本における考証学の提唱者、および漢籍書誌学の開拓者として位置付けられている。 生涯 延享2年(1745年)4月5日、上総大多喜藩士藤井沢衛門定行の子として生まれた。水戸藩医吉田篤信と奥山氏の間に江戸小石川の藩邸に生まれたとするのは誤り。なお、大多喜藩の下屋敷も小石川にあったため、出生地が小石川の大多喜藩邸だったとすれば辻褄は合うが、今の... |
schema:birthDate | 1745 |
schema:deathDate | 1798 |
schema:description | 儒学者 |