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山本 清渓(1754-1823)
山本 清渓(やまもと せいけい、宝暦4年(1754年) - 文政6年9月14日(1823年10月17日))は、江戸時代中期の国学者。名は正臣、字は欽若、清渓と号する。代々、大炊御門家に仕える家柄であった。従四位下に叙され近江守に任ぜらる。 概略 京都に生まれる。幼い頃から学問にこころざし、歴代の制度に詳しく、和歌を善くする。巖垣龍渓の門に学び香川景柄と親交があった。晩年は江戸に住み、文政6年(1823年)9月14日に没する。享年70。下谷の蓮華寺(豊島区駒込に移転)に葬られた。 著書・編著 『源語図鈔』12巻 『三十六歌仙図鈔』 『清渓遺稿』6巻 『清渓集』4巻 『制度通補遺』20巻...
この人物の情報
schema:alternateName | ヤマモト セイケイ |
schema:name | 山本 清渓; 山本清渓; 山本, 正臣; 藤原, 正臣; 正臣; 欽若; 清渓 |
schema:abstract | 山本 清渓(やまもと せいけい、宝暦4年(1754年) - 文政6年9月14日(1823年10月17日))は、江戸時代中期の国学者。名は正臣、字は欽若、清渓と号する。代々、大炊御門家に仕える家柄であった。従四位下に叙され近江守に任ぜらる。 概略 京都に生まれる。幼い頃から学問にこころざし、歴代の制度に詳しく、和歌を善くする。巖垣龍渓の門に学び香川景柄と親交があった。晩年は江戸に住み、文政6年(1823年)9月14日に没する。享年70。下谷の蓮華寺(豊島区駒込に移転)に葬られた。 著書・編著 『源語図鈔』12巻 『三十六歌仙図鈔』 『清渓遺稿』6巻 『清渓集』4巻 『制度通補遺』20巻... |
schema:birthDate | 1754 |
schema:deathDate | 1823 |
schema:description | 学者 |