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鵜飼 石斎(1615-1664)
鵜飼 石斎(うかい せきさい、慶長20年1月15日(1615年2月12日) - 寛文4年7月21日(1664年9月10日))は、江戸時代前期の儒学者。諱を信之。字は子直。号は石斎・心耕子。鵜飼真元の子で母は中路氏、正室は湯本幸勝の娘。子に鵜飼錬斎・称斎がいる。 祖先は近江国甲賀郡の人と言われる。江戸出身で那波活所に学ぶ。正保3年(1646年)に尼崎藩主青山幸利に仕え、万治3年(1660年)に致仕して上洛、京都油小路で私塾を開いて門人を育成し、その名声は山崎闇斎・毛利貞斎と並んだ。 儒学のみならず、歴史にも精通し、31種673巻にのぼる著書・校刊本が知られており、代表的なものとして『本朝編...
この人物の情報
schema:alternateName | ウガイ セキサイ |
schema:name | 鵜飼 石斎; 鵜飼石斎; 信之; 子直; 石斎; 鵜飼, 信之 |
schema:abstract | 鵜飼 石斎(うかい せきさい、慶長20年1月15日(1615年2月12日) - 寛文4年7月21日(1664年9月10日))は、江戸時代前期の儒学者。諱を信之。字は子直。号は石斎・心耕子。鵜飼真元の子で母は中路氏、正室は湯本幸勝の娘。子に鵜飼錬斎・称斎がいる。 祖先は近江国甲賀郡の人と言われる。江戸出身で那波活所に学ぶ。正保3年(1646年)に尼崎藩主青山幸利に仕え、万治3年(1660年)に致仕して上洛、京都油小路で私塾を開いて門人を育成し、その名声は山崎闇斎・毛利貞斎と並んだ。 儒学のみならず、歴史にも精通し、31種673巻にのぼる著書・校刊本が知られており、代表的なものとして『本朝編... |
schema:birthDate | 1615 |
schema:deathDate | 1664 |
schema:description | 学者 |