佐田 介石(さた かいせき、文政元年4月8日(1818年5月12日)- 明治15年(1882年)12月9日)は、肥後国出身の幕末から明治初頭にかけての浄土真宗本願寺派(晩年は天台宗)の僧侶。 攘夷運動・梵暦運動の指導者。 号は等象斎。 [人物] 肥後国八代郡種山村(現在の熊本県八代市)の浄立寺住職・広瀬慈博の子に生まれる。 幼名は観霊。 後に同国飽田郡正泉寺住職であった佐田氏の養子となる。 少年時代は熊本藩の藩校で儒学を学び、後に西本願寺において仏教修学に励んだ。 幕末に入ると、日本は開国をして西洋の文物が流入するようになると、介石は憂国の志を抱くようになる。 特に開国後の貿易開始に伴う経済...
「Wikipedia」より