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緒方 洪庵(1810-1863)
緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日〈1810年8月13日〉 - 文久3年6月10日〈1863年7月25日〉)は、江戸時代後期の武士(足守藩士)・医師・蘭学者。諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する。 大阪に適塾(大阪大学の前身)を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。 略歴 文化7年(1810年)7月14日、豊後国の豪族豊後佐伯氏の流れをくむ備中佐伯氏の一族である備中国足守藩(現・岡山市北部)士・佐伯惟因(瀬左衛門)の三男として生まれる。母は、石原光詮の娘・キャウ。幼名は騂之助(せいのすけ)。備...
この人物の情報
schema:alternateName | オガタ コウアン |
schema:name | 緒方 洪庵; 緒方洪庵; 章; 公裁 |
schema:abstract | 緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日〈1810年8月13日〉 - 文久3年6月10日〈1863年7月25日〉)は、江戸時代後期の武士(足守藩士)・医師・蘭学者。諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する。 大阪に適塾(大阪大学の前身)を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。 略歴 文化7年(1810年)7月14日、豊後国の豪族豊後佐伯氏の流れをくむ備中佐伯氏の一族である備中国足守藩(現・岡山市北部)士・佐伯惟因(瀬左衛門)の三男として生まれる。母は、石原光詮の娘・キャウ。幼名は騂之助(せいのすけ)。備... |
schema:birthDate | 1810 |
schema:deathDate | 1863 |
schema:description | 自然科学者 |