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松崎 慊堂(1771-1844)
松崎 慊堂(まつざき こうどう、明和8年9月29日(1771年11月5日) - 天保15年4月21日(1844年6月6日))は、江戸時代後期の儒学者。諱は密または復。字は退蔵・明復。別号は益城・松下人。諡号を五経先生という。墓所は東京都目黒区の長泉院。 生涯 肥後国益城郡木倉村(現・熊本県上益城郡御船町)に生まれる。祖父は米光氏の源蔵という農夫だった。恵芳と名のる僧が源蔵の姉娘のもとに住みつき、この夫婦の間にできた松五郎という子が後年の松崎慊堂である。11歳頃に浄土真宗の寺へ小僧として預けられたが、生まれつき読書が好きで学問で身を立てるために13歳頃に国元から江戸に出奔し、浅草称念寺の...
この人物の情報
schema:alternateName | マツザキ コウドウ |
schema:name | 松崎 慊堂; 松崎慊堂; 復; 明復; 慊堂 |
schema:abstract | 松崎 慊堂(まつざき こうどう、明和8年9月29日(1771年11月5日) - 天保15年4月21日(1844年6月6日))は、江戸時代後期の儒学者。諱は密または復。字は退蔵・明復。別号は益城・松下人。諡号を五経先生という。墓所は東京都目黒区の長泉院。 生涯 肥後国益城郡木倉村(現・熊本県上益城郡御船町)に生まれる。祖父は米光氏の源蔵という農夫だった。恵芳と名のる僧が源蔵の姉娘のもとに住みつき、この夫婦の間にできた松五郎という子が後年の松崎慊堂である。11歳頃に浄土真宗の寺へ小僧として預けられたが、生まれつき読書が好きで学問で身を立てるために13歳頃に国元から江戸に出奔し、浅草称念寺の... |
schema:birthDate | 1771 |
schema:deathDate | 1844 |
schema:description | 学者 |