前田 利保(まえだ としやす)は、越中富山藩の第10代藩主。 [生涯] 寛政12年(1800年)2月28日、第8代藩主・前田利謙の次男として江戸で生まれる。 享和元年(1801年)に父が死去したときには2歳だったために家督を継げなかった。 文化8年(1811年)閏2月5日、第9代藩主・利幹の養子となる。 天保6年(1835年)10月19日、利幹が病気のために隠居したため、家督を継いで第10代藩主となった。 相次ぐ凶作などで藩財政が困窮していたため、産物方を設置して陶器製造業、薬草栽培などの国産化を奨励した。 特に薬草栽培には力を入れ、自ら「本草通串」「本草徴解」「本草通串澄図」「万香園裡花壇...
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