草場 珮川   (1787-1867)

草場 佩川(くさば はいせん、天明7年1月7日(1787年2月24日) - 慶応3年10月29日(1867年11月24日))は、江戸時代後期の儒学者。 佐賀藩多久領出身で、江戸で古賀精里に学び、佐賀藩藩校弘道館教授を務めた。 佩川(珮川)は号で、通称は磋助(さすけ)あるいは瑳助、名は韡(さかえ)、字は棣芳(ていほう)。 漢詩人として知られ、文人画にも優れた。 [生涯] 天明7年(1787年)、肥前国多久町において、多久邑主(領主)である多久氏(佐賀藩重臣)の家臣、草場泰虎の次男として生まれる。 幼くして父を失ったが、母に教えられた和歌をそらんじるなど利発に育った。 8歳で多久の東原庠舎に入門...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ クサバ ハイセン
人物別名 草場珮川

棣芳

珮川
生年 1787年
没年 1867年
職業・経歴等 儒学者

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
草場佩川 : 奇才の遺産 : 没後150年 : 肥前さが幕末維新博覧会・プレ企画展 佐賀県立博物館編 佐賀県立博物館
多久市教育委員会
2017.12
草場珮川日記 三好嘉子 校註・解題 西日本文化協会
1980.3
草場珮川日記 三好嘉子 校注・解題 西日本文化協会
1978.5
津島日記 : 影印本 草場珮川 著 西日本文化協会
1978.5
草場珮川日記 草場珮川[著] ; 三好嘉子校註・解題 西日本文化協会
1978.5-1980.3
珮川詩鈔 4巻 草場韡棣芳稿 ; 男廉夫立大, 男龔生仙客仝校 須原屋茂兵衛
嘉永6 [1853]
珮川詩鈔 4巻 草場韡著 ; 草場廉夫, 草場龔生仝校 伊丹屋善兵衛
内野屋彌平次
山城屋佐兵衛
岡田屋嘉七
榎並屋小兵衛
紙屋宗右衞門
藤屋禹三郎
須原屋茂兵衛
嘉永6 [1853] [刊]
珮川詩鈔 4巻 草場韡著 ; 草場廉夫, 草場龔生校 須原屋茂兵衛
嘉永6[1853]
珮川詩鈔 4巻 草場韡著 ; [草場]廉夫, [草場]龔生仝校 伊丹屋善兵衛
内野屋彌平次
山城屋佐兵衛
岡田屋嘉七
榎並屋小兵衛
紙屋宗右衞門
藤屋禹三郎
須原屋茂兵衛
嘉永6[1853] [刊]
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