仮名垣 魯文(かながき ろぶん、1829年2月9日(文政12年1月6日) - 1894年(明治27年)11月8日)は、江戸末期から明治初頭にかけての戯作者、新聞記者。 江戸の京橋生まれ。 本名は野崎文蔵、字は能連、幼名兼吉、また庫七、後に文蔵と改めた。 別号に鈍亭、猫々道人(みょうみょうどうじん)。 俳号は香雨亭応一、狂名は斜月窗諸兄。 [生涯と作品] 花笠魯介文京に師事。 1849年(嘉永2年)に名弘めの摺物を配って、戯作者となった。 その後巻物の草双紙や滑稽本数十を著し、安政年間には名を為した。 筆名は初め「英(はなぶさ)」または「鈍亭」としていたが、1873年(明治6年)に仮名垣魯文と...
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