井上 正鉄(井上 正鐵、いのうえ まさかね、寛政2年8月4日(1790年9月12日) - 嘉永2年2月18日(1849年3月12日))は幕末の国学者、神道家。 [経歴] 1790年 - 上野国館林藩士安藤真鉄(あんどうまかね)の子として出生。 母方の縁者の養子に入り井上姓となる。 1840年 - 足立郡の梅田神明宮の神職となり、江戸で独自の神道を唱える。 1842年 - 江戸幕府の滅亡を予言する言動を理由に三宅島に流される。 1849年 - 三宅島で没す。 明治維新後、門人の坂田安治らによってその思想が纏められ『禊教』となる。 [備考] 独自の呼吸法で大音声を発することができたといわれる。...
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