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藤原 忠実(1078-1162)
藤原 忠実(ふじわら の ただざね)は、平安時代後期から末期にかけての公卿。藤原北家、関白・藤原師通の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。日記『殿暦』の著者。 生涯 白河院政期 関白・師通と頼宗流の権大納言・藤原俊家の娘である全子との間の嫡男として承暦2年(1078年)に生まれる。しかし師通は藤原信長(教通の子)の養女である信子(藤原経輔の娘)を正室にして母全子と離縁する。これは頼通流と教通流による摂関家内部の長年の対立に終止符を打つものだったが、この恨みを全子は生涯忘れず、父・俊家の画像を描かせて礼拝し、師通を呪ったという。忠実は母・全子を尊重する一方で義母・信子の扶養...
この人物の情報
schema:alternateName | フジワラ タダザネ |
schema:name | 藤原 忠実; 藤原忠実 |
schema:abstract | 藤原 忠実(ふじわら の ただざね)は、平安時代後期から末期にかけての公卿。藤原北家、関白・藤原師通の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。日記『殿暦』の著者。 生涯 白河院政期 関白・師通と頼宗流の権大納言・藤原俊家の娘である全子との間の嫡男として承暦2年(1078年)に生まれる。しかし師通は藤原信長(教通の子)の養女である信子(藤原経輔の娘)を正室にして母全子と離縁する。これは頼通流と教通流による摂関家内部の長年の対立に終止符を打つものだったが、この恨みを全子は生涯忘れず、父・俊家の画像を描かせて礼拝し、師通を呪ったという。忠実は母・全子を尊重する一方で義母・信子の扶養... |
schema:birthDate | 1078 |
schema:deathDate | 1162 |
schema:description | 貴族 |