新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・学者。 一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。 家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折して八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚、晩年は著述活動に勤しんだ。 学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。 また詩人で多くの漢詩が伝わる。 白石は号で、諱は君美(きみよし、有職読みで きんみ)。 [生涯] 先祖は、上野国新田郡新井...
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