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蒲生 定秀(1508-1579)
蒲生 定秀(がもう さだひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。六角氏、織田氏の家臣。近江国日野城主。 生涯 永正5年(1508年)、蒲生高郷の子として誕生。父と共に南近江の戦国大名の六角氏の家臣として仕えた。定秀の父の高郷は蒲生氏の分家で、本家の家督は定秀の従兄弟の蒲生秀紀が継いでいたが、秀紀が幕府寄りであったのに対し、高郷・定秀は主君の六角定頼の信任を受けていたため、その後ろ盾を得て「定」の一字を賜って定秀と名乗った。また六角家中有数の重臣である馬淵氏から正室を迎え、六角家中での地位を固めた。 大永2年(1522年)に音羽城の蒲生秀紀を攻撃し、大永3年(1523年)3月に...
この人物の情報
schema:alternateName | ガモウ サダヒデ |
schema:name | 蒲生 定秀; 蒲生定秀 |
schema:abstract | 蒲生 定秀(がもう さだひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。六角氏、織田氏の家臣。近江国日野城主。 生涯 永正5年(1508年)、蒲生高郷の子として誕生。父と共に南近江の戦国大名の六角氏の家臣として仕えた。定秀の父の高郷は蒲生氏の分家で、本家の家督は定秀の従兄弟の蒲生秀紀が継いでいたが、秀紀が幕府寄りであったのに対し、高郷・定秀は主君の六角定頼の信任を受けていたため、その後ろ盾を得て「定」の一字を賜って定秀と名乗った。また六角家中有数の重臣である馬淵氏から正室を迎え、六角家中での地位を固めた。 大永2年(1522年)に音羽城の蒲生秀紀を攻撃し、大永3年(1523年)3月に... |
schema:birthDate | 1508 |
schema:deathDate | 1579 |
schema:description | 戦国武将 |