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大石 綱元(1532-1601)
大石 綱元(おおいし つなもと、天文元年(1532年) - 慶長6年1月12日(1601年2月14日))は、戦国時代の武将。武蔵国出身。父は大石綱資(元興)。大石吉綱の養子。通称、播磨守。別名、兼綱。子孫に上杉斉定治世下の奉行である大石綱豊らがいる。 略歴 武蔵の守護代を務めたこともある大石氏の一族とみられる。当初は山内上杉氏家臣だったが、1552年、後北条氏との争いに敗れ長尾景虎(上杉謙信)を頼った上杉憲政に従い越後国に入り、その後は長尾氏家臣となる。 御館の乱では景勝方に付き、会津転封後は保原城代を務る。 安田能元、岩井信能と共に会津三奉行に数えられるほど政務に明るい人物で、特に街...
この人物の情報
schema:alternateName | オオイシ ツナモト |
schema:name | 大石 綱元; 大石綱元 |
schema:abstract | 大石 綱元(おおいし つなもと、天文元年(1532年) - 慶長6年1月12日(1601年2月14日))は、戦国時代の武将。武蔵国出身。父は大石綱資(元興)。大石吉綱の養子。通称、播磨守。別名、兼綱。子孫に上杉斉定治世下の奉行である大石綱豊らがいる。 略歴 武蔵の守護代を務めたこともある大石氏の一族とみられる。当初は山内上杉氏家臣だったが、1552年、後北条氏との争いに敗れ長尾景虎(上杉謙信)を頼った上杉憲政に従い越後国に入り、その後は長尾氏家臣となる。 御館の乱では景勝方に付き、会津転封後は保原城代を務る。 安田能元、岩井信能と共に会津三奉行に数えられるほど政務に明るい人物で、特に街... |
schema:birthDate | 1532 |
schema:deathDate | 1601 |
schema:description | 戦国武将 |