井上 準之助   (1869-1932)

大分生まれ。大正・昭和期の財政家、政治家。東京帝国大学卒。明治29年(1896)日本銀行に入行。30年(1897)に英国・ベルギーに留学。帰国後、大阪支店長・営業局長などを歴任。44年(1911)横浜正金銀行に入り、頭取を経て、大正8年(1919)に日銀総裁に就任した。12年(1923)に山本権兵衛内閣の蔵相となり、翌年貴族院議員に勅選。昭和2年(1927)高橋是清蔵相の下で再び日銀総裁となる。4年(1929)浜口雄幸内閣の蔵相となり、金解禁を実施。6年(1931)に辞任後、民政党総務となるが、血盟団事件で暗殺された。

「近代日本人の肖像」より

Wikipedia「井上準之助

「青空文庫」より

井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ、明治2年3月25日(1869年5月6日) - 昭和7年(1932年)2月9日)は、日本の政治家、財政家。 日本銀行第9、11代総裁。 山本、濱口、第2次若槻内閣で大蔵大臣に就任。 貴族院議員。 [生涯] 帝大卒業後に山本達雄の勧めで日本銀行に入行。 日銀では高橋是清の知遇を受け営業局長にまで昇進。 ニューヨークへの転勤を経て横浜正金銀行に招かれ、のちに高橋の計らいで古巣の日銀の総裁に任命される。 日銀総裁時代に起きた昭和金融恐慌の際には高橋と共に混乱の収拾にあたった。 第2次山本内閣で大蔵大臣を務めた際は関東大震災の混乱の中でモラトリアムを断行する。 経...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ イノウエ ジュンノスケ
人物別名 井上準之助
生年 1869年
没年 1932年
職業・経歴等 実業家

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
いま学ぶべき井上準之助の景況観 : 第9・第11代日本銀行総裁井上準之助の講演記録より 井上準之助 述 日本信用調査出版部
1993.5
井上準之助 井上準之助論叢編纂会 編 原書房
1983.3
井上準之助 井上準之助論叢編纂会 編 原書房
1982.9
井上準之助 井上準之助論叢編纂会 編 原書房
1982.11
井上準之助 井上準之助論叢編纂会 編 原書房
1982.12
井上準之助 井上準之助論叢編纂会 編 原書房
1982.10
清渓おち穂 井上準之助論叢編纂会 編 井上準之助論叢編纂会
昭13
井上準之助論叢 井上準之助論叢編纂会 編 井上準之助論叢編纂会
昭和10
井上準之助論叢 井上準之助論叢編纂会 編 井上準之助論叢編纂会
1935
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