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吉田 隆長(1277-1350)
吉田 隆長(よしだ たかなが)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。藤原北家勧修寺流吉田家、権大納言・吉田経長の次男。官位は正三位・権中納言。 経歴 皇太子尊治親王の東宮亮を務め、親王が後醍醐天皇として践祚した文保2年(1318年)2月26日に蔵人頭に抜擢される。同年8月24日には参議に昇進する。元応2年(1320年)3月24日には権中納言に任ぜられ、左兵衛督・検非違使別当を兼ねるが、日吉大社の神人を禁獄したことに延暦寺からの抗議を受け、9月10日に阿波権守に左遷される。ただし、同年12月には許されて帰京している。 元亨元年(1321年)7月26日に兄・定房が権大納言を辞すると...
この人物の情報
schema:alternateName | ヨシダ タカナガ |
schema:name | 吉田 隆長; 吉田隆長; Yoshida, Takanaga; Yosida, Takanaga |
schema:abstract | 吉田 隆長(よしだ たかなが)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。藤原北家勧修寺流吉田家、権大納言・吉田経長の次男。官位は正三位・権中納言。 経歴 皇太子尊治親王の東宮亮を務め、親王が後醍醐天皇として践祚した文保2年(1318年)2月26日に蔵人頭に抜擢される。同年8月24日には参議に昇進する。元応2年(1320年)3月24日には権中納言に任ぜられ、左兵衛督・検非違使別当を兼ねるが、日吉大社の神人を禁獄したことに延暦寺からの抗議を受け、9月10日に阿波権守に左遷される。ただし、同年12月には許されて帰京している。 元亨元年(1321年)7月26日に兄・定房が権大納言を辞すると... |
schema:birthDate | 1277 |
schema:deathDate | 1350 |
schema:description | 公家 |