creator search
山中 長俊(1547-1607)
山中 長俊(やまなか ながとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。山中為俊の子。通称は橘内。近江六人衆の一人。豊臣政権の奉行衆の1人。 来歴 近江国甲賀郡の出で、甲賀二十一家の山中氏の庶流(南北朝時代に分かれている)。はじめ六角氏に仕えて、永禄11年(1568年)9月に織田信長によって六角義賢が居城を追われた際は、これを甲賀郡に保護して信長と抗戦している。天正元年(1573年)9月には石部城に籠城、包囲軍の佐久間信盛配下の将・林寺熊之介を討ち、義賢から感状を受けた。天正2年(1574年)4月に石部城が開城すると義賢を守って伊賀国まで落ちるが、多くの家臣を帯同する義賢を国...
この人物の情報
schema:alternateName | ヤマナカ ナガトシ |
schema:name | 山中 長俊; 山中長俊; 山中, 吉内 |
schema:abstract | 山中 長俊(やまなか ながとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。山中為俊の子。通称は橘内。近江六人衆の一人。豊臣政権の奉行衆の1人。 来歴 近江国甲賀郡の出で、甲賀二十一家の山中氏の庶流(南北朝時代に分かれている)。はじめ六角氏に仕えて、永禄11年(1568年)9月に織田信長によって六角義賢が居城を追われた際は、これを甲賀郡に保護して信長と抗戦している。天正元年(1573年)9月には石部城に籠城、包囲軍の佐久間信盛配下の将・林寺熊之介を討ち、義賢から感状を受けた。天正2年(1574年)4月に石部城が開城すると義賢を守って伊賀国まで落ちるが、多くの家臣を帯同する義賢を国... |
schema:birthDate | 1547 |
schema:deathDate | 1607 |
schema:description | 大名 |