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石堂 淑朗(1932-2011)
石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2011年11月1日)は、日本の脚本家、評論家。 来歴・人物 広島県尾道市久保町出身。実家は『東京物語』の撮影が行われた浄土寺の近くで、田坂啓の家も近所にあった。父は種子島出身で、足が悪く、苦学して33歳で京都大学法学部を卒業した弁護士だった。旧制尾道中学校(現・広島県立尾道北高等学校)在学中に学制改革を経験するが、男女共学化に反対して岡山県立岡山朝日高等学校に転校。しかし翌年秋からここも共学化されるのを知り、同校を2年生の夏に中退。大学入学資格検定を受けて同級生よりも1年早く広島大学に入学したがまた中退して、東京大学文学部独文...
この人物の情報
schema:alternateName | イシドウ トシロウ |
schema:name | 石堂 淑朗; 石堂淑朗 |
schema:abstract | 石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2011年11月1日)は、日本の脚本家、評論家。 来歴・人物 広島県尾道市久保町出身。実家は『東京物語』の撮影が行われた浄土寺の近くで、田坂啓の家も近所にあった。父は種子島出身で、足が悪く、苦学して33歳で京都大学法学部を卒業した弁護士だった。旧制尾道中学校(現・広島県立尾道北高等学校)在学中に学制改革を経験するが、男女共学化に反対して岡山県立岡山朝日高等学校に転校。しかし翌年秋からここも共学化されるのを知り、同校を2年生の夏に中退。大学入学資格検定を受けて同級生よりも1年早く広島大学に入学したがまた中退して、東京大学文学部独文... |
schema:birthDate | 1932 |
schema:deathDate | 2011 |
schema:description | 脚本家 |