東京生まれ。小説家。大正5年(1916)東京帝大在学中に発表した「鼻」が夏目漱石に評価され、文壇に登場。卒業後、海軍機関学校の嘱託教官として英語を教える傍ら、「芋粥」(1916)、「奉教人の死」(1918)、第一短編集『羅生門』(1917)などを発表。8年(1919)海軍機関学校を辞職、大阪毎日新聞社社員として文筆活動に専念する。昭和2年(1927)36歳で自殺した。芥川比呂志、也寸志の父。
「近代日本人の肖像」より
東大在学中に同人雑誌「新思潮」に発表した「鼻」を漱石が激賞し、文壇で活躍するようになる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺。その死は大正時代文学の終焉と重なっている。Wikipedia「芥川龍之介」
「青空文庫」より
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。 本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編である。 また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。 「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。 [生涯] 東京市京橋区入船町8丁目(現中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。 姉が2人いたが、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。 生後7ヵ月後頃に母が精神に異常をきたしたた...
「Wikipedia」より