細川 潤次郎(ほそかわ じゅんじろう、1834年3月11日(天保5年2月2日) - 1923年(大正12年)7月20日)は、幕末の土佐藩藩士、明治・大正時代の法制学者・教育家。 男爵。 幼名は熊太郎、諱は元(はじめ)。 十洲と号した。 政治的要職としては司法大輔・貴族院副議長位であったが、日本の近代法導入の功績に関しては江藤新平と並んで高く評価されている。 また、福沢諭吉に明治新政府に出仕するよう最後まで説得にあたった。 [生涯] [生涯] 天保5年(1834年)、土佐藩に仕える儒者細川延平の次男として生まれる。 藩校で優秀な成績を修め、土佐藩の三奇童の一人と謳われた(他の二名は岩崎馬之助...
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