南摩 綱紀(なんま つなのり、文政6年11月25日(1823年12月26日) - 明治42年(1909年)4月13日)は、日本の武士(会津藩士)、教育者。 通称は八之丞、号は羽峯。 [生涯] 南摩家は元下野国南摩城主であった。 会津藩においては家禄300石の上級藩士であったが、綱紀は次男で当主ではない。 藩校日新館に学び、秋月悌次郎とともに秀才として知られた。 昌平坂学問所に留学し、その後洋学も修めている。 西国諸国を歴訪し、その見聞を『負笈管見』と題して著す。 帰藩後は日新館教授を務め次いで蝦夷地代官として現地に赴任。 現地でも藩士子弟の教育にあたり、その中に会津藩出身者として最初の海軍将...
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