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神代 種亮(1883-1935)
神代 種亮(こうじろ たねあき、1883年(明治16年)6月14日 - 1935年(昭和10年)3月30日)は日本の校正家。「校正の神様」といわれた。名は「たねすけ」と読まれる事が多いが、「たねあき」が正しい。号の帚葉は、誤字を除ける校正業を落葉掃きで譬喩したもの。七松庵とも号す。 来歴 石見津和野(現・島根県津和野町)出身。松江師範学校を卒業して教師となる。明治末年に教師を辞めて上京し、大正末年まで海軍大学校図書館に勤務する。そのかたわら、図書館の蔵書を利用して明治文学の研究に没頭する。後に明治文化研究会の一員となる。 1924年11月25日、東京朝日新聞の夕刊で「校正の神様」として...
この人物の情報
schema:alternateName | コウジロ タネスケ |
schema:name | 神代 種亮; 神代種亮; 七松庵主人; 帚葉山人 |
schema:abstract | 神代 種亮(こうじろ たねあき、1883年(明治16年)6月14日 - 1935年(昭和10年)3月30日)は日本の校正家。「校正の神様」といわれた。名は「たねすけ」と読まれる事が多いが、「たねあき」が正しい。号の帚葉は、誤字を除ける校正業を落葉掃きで譬喩したもの。七松庵とも号す。 来歴 石見津和野(現・島根県津和野町)出身。松江師範学校を卒業して教師となる。明治末年に教師を辞めて上京し、大正末年まで海軍大学校図書館に勤務する。そのかたわら、図書館の蔵書を利用して明治文学の研究に没頭する。後に明治文化研究会の一員となる。 1924年11月25日、東京朝日新聞の夕刊で「校正の神様」として... |
schema:birthDate | 1883 |
schema:deathDate | 1935 |